Week 21, 2026
今週のヘッドライン
Krugmanの「A Tale of Thucydides」。北京の米中サミットで習近平が「トゥキディデスの罠を越えて」と語ったのに対し、トランプは「アメリカの中華料理屋の数は大手ファストフード5社の合計より多い」と返した、というクルーグマンの嘆き (2026-05-18)
VTuber柘榴シロの「フィリピンに来なさい」動画が大バズり。「〜に来なさい」ネタがVTuber界隈で拡散 (2026-05-19)
davinci-resolve-mcpをnpxでインストールし、Text+クリップで画像生成。フォントはHesei Mincho、サイズ0.13、Element1白塗り+Element2黒縁取り(OutsideOnly/Softness)で運用が固まる (2026-05-19)
Gemini 3.5 Flashが発表 (2026-05-19)
Fantia性器修正基準厳格化。Visa/MasterCardの寡占→ブランドルール(BRAM)→加盟店の予防的排除という決済インフラ経由の構造で、Fanbox流出時に予言した通りに展開 (2026-05-20)
Google I/O 2026を見て「Disruptされる側」を再自覚。ホワイトカラーは早晩disruptされる、水商売がtop tierに見えるがその技術は全く育てていない (2026-05-21)
「会社の内部と外部『事情通』のストーリーは食い違う。部外者はブラックボックスを結論から逆算する」。個人事業主と会社はゲームのルールが違う、ノリと勢いだけでは会社は動かないという考察 (2026-05-22)
Game*Sparkのqureate臼田裕次郎インタビュー。「貧乳キャラはどうしても幼く見えてしまう可能性があるためリスクが大きい」と語られ、萎縮効果の構造が可視化 (2026-05-22)
KarpathyのLLM Wikiを試した (2026-05-22)
高市政権の「国旗損壊罪」骨子案。損壊そのものに加え「映像送信」「陳列」も処罰対象、保護法益は「国旗を大切に思う国民感情」。赤松健の働きかけで創作物(漫画・アニメ・ゲーム・生成AI)は対象外と骨子案に明示 (2026-05-23)
絨毯下に敷いていたPVCマットが完全にカビにやられ、数時間カビキラー作業。マット運用を廃し、月1で天日干しする綿ラグ運用へ切替 (2026-05-23)
AIR SHELFを買い足すことを決定。Bromptonで増えたカバンの置き場としても、ゆくゆくのユニットシェルフ縮小・モジュール化方針としても両得 (2026-05-23)
Mori Calliopeのサボタージュ。月ノ美兎ARG本(仮)が夏コミの旬テーマになったが制作は全然進んでいない (2026-05-17)
普通ではない面白いこと
「フィリピンに来なさい」と直接強めに呼びかけられた結果、ミーム化して「〇〇に来なさい」が広がり、肝心のフィリピンには誰も行かない、という呼びかけの蒸発現象 (2026-05-19)
PVCマットを敷いたから床が安全だと思っていたら、マットの下で湿気が逃げ場を失い、見事にカビ温床を形成していた、という「迂回路が新しい問題を産む」現実 (2026-05-23)
自分で実装したら2週間かかるアプリをClaude Codeで半日で作ってしまい、技術的詳細を理解できないまま動いているという状況。嬉しさと悔しさと無力さがコーヒーに渦を巻くミルクのように混ざる感覚 (関連 2026-05-25)
「巨乳キャラばっかりじゃねえか」と言われるのに、貧乳キャラを出すと幼く見えるリスクで会社が潰れかねないので致し方ない、と語る漫画家の現実。誰も直接「貧乳禁止」と言っていないのに、本人が予防的に貧乳キャラを諦める萎縮の構造 (2026-05-22)
今週のストーリー
直接さを失った一週間、あるいはモジュール家具と国旗のカビについて
ある月曜の朝、私は北京のホテルの一室にトランプとならんで腰かけているような気分で目を覚ました。むろん幻想である。机の上には飲みかけの紅茶があるだけで、習近平はいないし、ファストフードチェーンの統計表もない。だが目を覚ました瞬間に「アメリカの中華料理屋は大手ファストフード5社の合計より多い」という、どう考えても歴史的会談に持ち出してくる類いの情報ではない知識が私の頭の中を駆け巡っており、これは要するに、ものごとの核心を突くことを誰もが少しずつ忘れていく週なのだろうと、まだ朝靄も晴れぬうちから私は予感した。
その予感を裏付けるかのように、その日のうちに私はクルーグマンの「A Tale of Thucydides」を読み、つくづく嘆息した。習近平が「トゥキディデスの罠を越えて」などと格調高く切り出したのに対し、わが大統領閣下(私はアメリカ大統領を「わが」と呼ぶ義理はないがクルーグマンの嘆きが伝染した)は中華料理屋の話で返したという。古代ギリシャ史を経由したまわりくどい当てこすりに、ファストフードチェーンの統計をぶつけるという回答は、これはこれで芸術的な迂回ではないか、と私は思った。直接「いやそんなことはない」と言わない。あくまで脱線して、要件にぶつからない。これは、と私は呟いた。これは今週のテーマ「直接さを失う」の予告編である。
火曜にはVTuber柘榴シロ氏の「フィリピンに来なさい」動画が大バズりしていることを知り、しかも誰もフィリピンには行かないらしいということを知った。動画を見たものは「〜に来なさい」というネタを別の文脈で使う。「島根に来なさい」「金沢に来なさい」「私の心の縁側に来なさい」。当の柘榴シロ氏のフィリピンには、いっこうに人がやって来ない構造である。呼びかけは届いているが、呼びかけの内容には届かない。歴史会談における中華料理屋的迂回が、こちらでは「ミーム化による直接性の蒸発」として再演されているわけだ。私はもちろん、ミームを見ながら指輪を回し、フィリピンには行かなかった。
その日のうちに私はdavinci-resolve-mcpとかいうものをnpxでインストールし、AIに「〜にきなさい」の画像をText+クリップで作らせた。フォントは平成明朝(Hesei Mincho)というやや古風な字体である。当初は野心的にNoto Sans JPを使うつもりだったが、不在だったので断念した。AIが動画編集ツールを動かすのを横目に紅茶を啜っていると、自分が画像をつくっているのか、AIが画像をつくっているのか、平成明朝がしれっと自己生成しているのか、もはやよくわからなかった。直接やっていない、しかしできあがる。これも迂回である。
水曜にはFantia性器修正基準厳格化のニュースが目に入った。Fantiaが直接「絵のロリは禁止」と言ったわけではない。決済インフラ(Visa, Mastercard)が直接禁止したわけでもない。あいだに国際ブランドルール、加盟店契約、ブランドのreputational risk、活動家の通報、大手紙の報道、訴訟リスクの恐怖、その他もろもろのレイヤーが幾重にも積もり、最終的に加盟店が「予防的に絵を消す」結論に至るという、まことに迂回そのものの仕組みである。誰も直接『これを描くな』とは言っていない。しかし結果は誰も描けなくなる。バニガ2の臼田裕次郎氏のインタビューで「貧乳キャラは幼く見えるリスクがあるので致し方ない」と語られていたのも、同じ構造の余韻である。直接「貧乳禁止」と言われたわけではないのに、本人が予防的に貧乳キャラを諦める。萎縮効果という言葉は、まさに「直接さを失う」ことの呼び名なのだ、と私は紅茶をガス代代わりに体を温めながら頷いた。
木曜にはGoogle I/O 2026の余波を受けて、自分がdisruptされる側にいるという感覚をふたたび味わった。Claude Codeとやらが、自分で実装すれば2週間かかるアプリを半日で組み上げてしまうらしいとも聞いた。それは、嬉しさと悔しさと無力さが、コーヒーに渦を巻くミルクのように混ざっていく感じだと、誰かが書いていた。書いていたが、書いている言葉自体すら、LLMの口癖にじわじわ侵食されている気がして、二重に無力になった。私はもはやコードに直接触れていない。コードはどこかで誰かが代わりに書く。私はその結果を眺め、紅茶を啜る。
金曜の日記には「やるべきことが多すぎて滅!」と書いた。社内事情を社外の事情通が逆算でストーリーにする、という構造についても書いた。ブラックボックスを開けずに、結論から逆算して中身を想像する。これも迂回である。要するに、「何かをじかに見る」ことが今週ずっと回避されている。
土曜、私はソファに座って、絨毯の下から這い出してきた黒いカビと対峙していた。PVCマットを敷いておけば床が安全だろうと思っていたが、マットの下で湿気が逃げ場を失い、見事にカビ温床を形成していた。私はカビキラーをかけ、濡れた布で擦り、数時間かけて床と対話した。直接床に触れて生活していれば、こんなカビは発生しなかっただろう。マットを挟むという「迂回路」が、カビという別の問題を産んでいた。
そういえばこの日、国旗損壊罪の骨子案が報じられた。実物の国旗を破く行為だけでなく、その映像を送信する行為まで処罰対象にする方向だという。直接損壊しなくとも、損壊の像を流せば罰せられる。これもまた、行為と結果のあいだに何重もの迂回路を設けた立法である。橋下徹氏のいう「抽象的・シンボル的・形而上的なもの」を守るために刑罰を振るう、という構造は、結局のところ、傷つけられたのは布ではなく感情である、という間接性のうえに成り立っている。「国旗の形を保ったまま損壊され続ける自己再生型国旗」というパロディがネット上を流れていったが、この自己再生型国旗もまた、迂回の極致のような存在だと思う。
赤松健氏の働きかけで、骨子案に「アニメ・漫画・ゲーム・映画などの創作活動を妨げるものではない」と書き加わったのが、今週の救いだった。直接「萎縮するな」とは言わないが、迂回路に防波堤を設けてくれた人がいる。これはこれで、迂回の世界における誠実さである。
夜、私はAIR SHELFを買い足すことに決めた。家具は固定せず、後で配置や役割を変えられる「モジュール化」されたもののほうがいい、というのが私の持論である。一発で正解を据え置くのではなく、後から組み替えながら正解に近づいていく。これも、直接性を捨てた人間の知恵といえる。今週起きたことをぜんぶ並べると、結局のところ私は「直接やる」ことから少しずつ距離を取りながら生活していることに気づく。
迂回することは悪いことばかりではない。tactical empathyというのも、相手の感情を断定せず「〜のように聞こえます」と差し出して沈黙する技法だった。本人ですら気づいていなかった感情に、間接的に光を当てる。NTTの新技術も、触らずに粘り気や柔らかさを感じさせる装置である。直接さを失った世界には、直接さを失ったままで届く真理もあるらしい。
ただし、と私は指輪を回しながら考える。
カビは直接生えるし、習近平の皮肉は古代史を経由しても直接届くし、Disruptは時間差はあれど直接やってくる。
迂回路の長さに油断していると、いつの間にか床下でカビが私の生活を結論から逆算してしまっている。
ペンを置く前にもう一度、私は紅茶の表面のうずをみつめた。コーヒーではなく紅茶だ、紅茶だ、と自分に言い聞かせながら、来週は少しは直接的に生きてみよう、と書きかけて、書いてしまうと書いた瞬間に「直接」が間接になることに気がついた。
紅茶は冷め、平成明朝は字面の中で静かに微笑んでいた。
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davinci-resolve-mcpはなんでもやってくれるようなものじゃない
自分で書いた文章が他人に書いた文章扱いになったりしている
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